なぜ今NYに行くのか -その1-

28歳くらいから、徐々に物作りの世界へと足を踏み入れて、レザーメインの活動になってから約10年。
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最初は作ることが楽しくて楽しくて、ただただ作り続けて、だんだんと売れるようになって、気づけば土日関係なくただひたすら作っては売るの繰り返しになり、意識しないとほとんど遊ばなくなった。でも、休む時間は絶対に必要で、よし!っと気合い入れて、一人カフェ時間を時々作るようにしていた気がする。
売れることが嬉しくて、お客様からの言葉が嬉しくて、作っても作っても全然飽きなくて、ただただ『自分にしか作れない世界観』への追求に没頭しまくっていた。
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そんな中、結婚もして出産もした。生活の中には普通に育児もあった。
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そして、経済的なこともあり、収入を上げようと、もうもう、ただひたすらそれしか頭に無い、くらいの数年間も過ごした。作りまくった。
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そんな中、ふと気付いたら、どこかつまらないと感じている自分がいた。同じことの繰り返しが延々と繰り返される日々。作ることは楽しい(それだけは絶対に揺るがない♪)それには変わりはなかったけれど。
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『作って売る』その一連の流れ以外のことが何も無かった。ワクワク出来ることが無かった。
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退屈になったのだと思う。
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何か『これだ!』と思える次なる目標が出来ればいいのだけど、それもいまいちピンとくるものがない。個展もイベント出展もどれもこれもが、その時のわたしにとってはやりたいものではなかった。
延々と一人作業だから、人との交流が少なすぎたのもあって、ちょっとワイワイと楽しそうな雰囲気が欲しくなった。
ワークショップでもやろうかな??スタッフが居たら楽しいかな??なんて考え始めた。結局ワークショップはしなかったけれど、スタッフは一人手伝って貰うようになった(←これは大正解で、継続中)。
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そんなこんなで必死になっていた中、人生何が起きるか分からない。一ミリも想像していなかったことが、起きた。
それを境に、わたしの中で何かプツリと切れた。身体も壊した。
その時は収入を増やそうと頑張ってきたけど、もう、そこに対して、完全に疲れ果て放棄した。
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そこから一年間、無意識にお金の計算を自動的に始めてしまう頭の中を切り替えようと、ただただ今作りたいものを作ろうと、意識した。でも思考の習慣を変えることはなかなかに難しくて、自動計算は常に始まる。
それでも、そんな自分は捨てたくて、ただただやりたいこと、に集中するように思考を変えていった。そして、一旦お金放棄を意識してからだいぶ楽になってきた気はする。
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そして昨年は初めて『作家として生きる道 セッション』というものを何度かやってみたりもした。
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一年間、自分に課した縛りを解放し、ジワジワと本来のパワーが戻ってきた。そして、さまざまな葛藤、試行錯誤、たくさんしてきた中で、ふと我に帰る瞬間があったのが、確か昨年末。
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わたしの作家活動10年間の中の、半分くらいの記憶はほぼすっぽり消えていることに気付いた。消えているというと語弊があるかもしれない。たしかに、記憶を辿ると先に書いたように覚えているけれど、体感として残っているのは前半の5年間。その時に、愕然とした。
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ぎょっとして、寒気がした。
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このままいったら、また記憶の残らない時間をあっという間に過ごしてしまうかもしれない。
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記憶の残らない後半5年間というのは、わたしの中で『同じことの繰り返し』で何かが足りない、という感覚に陥っていた期間だ。そして、自分の人生の舵取りを、8割くらい自分ではない人に明け渡してしまっていた期間だ。そこに自分不在なわけだから、そりゃぁ、記憶もないわけだよね。
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時間のスピードの感覚が、振り返ると猛烈に早い。そして、平坦だ。平坦だからこそ、高速スピード過ぎてその中身が見えない、そんな感覚だ。
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そしてそれに気づくと同時に、40歳という節目もやってきた。
これからをどう生きるのか?というのを改めて考える良い機会になった。
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親友が移住したNYにも、『何となく行きたいな〜』程度じゃ、こりゃ一生掛かってもわたし行けないじゃん!と、はっと気付いた瞬間に、『もう、行くと決めよう、、』そう思えた。
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そして、やりたいことはやろう、そう決めた。
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最初は、『40代は、海外に気楽にぽーんと飛べる自分になろう』そんな風に漠然と決めた。どうすればそうなれるのかはわからないけれど、とにかくそう決めよう、そう思った。
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そして、まずはとにかくNYに行く!と決めてからは、先日投稿した【NYに行くと決めてからやってきたこと】に書いた通り。
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ここで、なぜNYなの?というお話に移る。
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続きは次の投稿にて

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